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わたし。

私は誰かに怒られたり、怒鳴られたりするのがとても怖い。
最近気づいたんだけど。
そりゃ誰だって、好きって人はいないと思うけど。
バイトの今のマネージャーが苦手だ。
それをなんでかって考えてて、気づいた。
マネージャーは声が大きくて、いつも怒鳴ってるみたいなしゃべり方だからだ。

男の人の怒鳴り声が本当に怖い。
勝手に涙が出てくるし、いてもたってもいられなくなって逃げだしたくなる。
絶対に飲み屋で働きたくない理由の一つ。

怒られるのにすごく抵抗があることは、前から気づいてた。
でもそれは、怒られなれてないからだと思ってた。
学校の先生とかに怒られた思い出とかもあんまりないし、だから。
でも実は逆なのかもしれない。
怒られなれてないからぢゃなくて、怒られた思い出があるから、怒られないようにしてきたのかもしれない。

「今思えば、虐待に近かったかもね」
あるとき、母が言ってた。
そういわれても、あんまり覚えていない。
なんでこんなに怒られるんだろう、私は悪い子なのかもしれないとは思ってた気がする。
あと、母が手を振り上げようとすると、別にたたくつもりぢゃないときでも、身構えてたことがあったような気がする。
そうやって叩かれて怒られた記憶も遠い昔だから、あんまり定かぢゃない。
ただ、私は母に対して自分の意見をいうということにすごく勇気がいる。
大抵、怒られてるわけでもないのに、泣いてしゃべれなくなってしまう。
あと、何か言われそうになるとすぐ「だって」と言ってしまう。
中、高で部長を経験して、「責任」というものに気づいてから
「だって」はいっちゃいけないんだってわかってからは、使わないようにしているけど
母に対しては今だに無意識なままに言ってしまう。

うちは常に誰かが怒っていた。
もの心付いたときには世に言う、嫁姑、嫁小姑問題があった。
祖母が亡くなってからは、父と母がお酒をめぐってけんかしてた。
父が亡くなった今でも、母と父の姉たちは仲が悪い。
だから、私は父方の親戚は、あんまり親戚だと思っていない。
父方の祖母が亡くなったときも、泣き虫な私が、1粒も涙を流さなかった。
おばさんたちにも出来ることなら会わないでいたかった。
いつも私の家族をけんかさせる原因でしかなかったから。
いとこも名前と顔が一致しなし、しゃべった記憶のない人だっている。

私の部屋は倉庫の中にある。
私の部屋に入るには3つの扉を通らなければならない。
それなのに、父と母のけんかする声はしっかり聞こえていた。
どなりあってるのも見ていたし、叩きあってるのも見ていた。
そんな父と母に対して私は何も出来なかった。
止めることも出来ず、そんな二人を見ながらただただ一人で泣いていた。
いつも母の機嫌を伺っていた。
いつも父のお酒の入り具合を気にしていた。
いつも願っていた、父も母もいがみ合わないですむ日が来ることを。

母はいつも誰かと闘っていなければいけなかった。
そのストレスの矛先が私に向いていたらしい。
「良くグレなかったよね」
うちのことを知ってる人は、たいてい私にこういった。
私がグレないで済んだのは、それでもちゃんと愛してくれた母のおかげだと思ってるし
私には”演劇”という逃げ場があったから。

私には”家族”って良くわからない存在なのかもしれない。
私の家族が欲しいってすごく思うけど、家族がなんなのかがわからない。
いつも闘っていなければならなかった母にも、穏やかな家族を知ってもらいたいとも思う。
いつかは結婚したいし、子供も欲しい。
早く欲しいなって思うときだってある。
でも怖くて仕方ない。
私には作れないんぢゃないかって思う。
ただ私みたいな思いをさせない、させたくなって思うだけ。
こんな私でも、自分の家族が作れる日が来るのだろうか。

by punyo_chihi | 2004-08-26 18:48 | わたし。  

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