『がらくた感覚』
最近思うのだが、からだの持つ「可能性」のようなものは、
あまりに莫大なパワーと蓄積があり、携帯電話のように電池切れの
状態に陥ることはない、誰もが頭部に脳みそを備え持ち、ぐるぐると
知恵を絞って生活をする。そして必ずともなって存在する「ボディー」
を、やはり日々費やして生活をする。一日のサイクルで考えると通常、
夜の時間帯に人は眠る。一見充電器のようにからだは「休む」事を
するが、果たして本当に充電されているのだろうか。日々の感覚では
疲れたから眠る。それは「休む」であって決して「リセット」ではない。
そして、その使い続けた体を人々は、そう簡単に傷んでいるとは
認めない。なぜか、がんばり続ける。新型製品を産み出そうと
日々フル活動してしまうのだ。リセットされずにどんどんと蓄積された
脳みそを持って、なんとかモノを考え、またなんとか日々を暮らしてしまう。
自分のからだにどんなことが起きているのか誰も知らない。
机の上に置くことも出来ない。からだは、少なくとも足を上げたくなれば
「上げる」し、モノを集めたくなれば「集める」ことをする。こんな不思議な
感覚を今だに完全消化できないために、こんなコンテンポラリーな日々を
過ごしているのかもしれない。
こんどるず主宰 こんどうりょうへい
あまりに莫大なパワーと蓄積があり、携帯電話のように電池切れの
状態に陥ることはない、誰もが頭部に脳みそを備え持ち、ぐるぐると
知恵を絞って生活をする。そして必ずともなって存在する「ボディー」
を、やはり日々費やして生活をする。一日のサイクルで考えると通常、
夜の時間帯に人は眠る。一見充電器のようにからだは「休む」事を
するが、果たして本当に充電されているのだろうか。日々の感覚では
疲れたから眠る。それは「休む」であって決して「リセット」ではない。
そして、その使い続けた体を人々は、そう簡単に傷んでいるとは
認めない。なぜか、がんばり続ける。新型製品を産み出そうと
日々フル活動してしまうのだ。リセットされずにどんどんと蓄積された
脳みそを持って、なんとかモノを考え、またなんとか日々を暮らしてしまう。
自分のからだにどんなことが起きているのか誰も知らない。
机の上に置くことも出来ない。からだは、少なくとも足を上げたくなれば
「上げる」し、モノを集めたくなれば「集める」ことをする。こんな不思議な
感覚を今だに完全消化できないために、こんなコンテンポラリーな日々を
過ごしているのかもしれない。
こんどるず主宰 こんどうりょうへい
by punyo_chihi | 2005-11-17 01:29 | ことば。